http://yao100kei.exblog.jp/ - 大阪府八尾市
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旧植田家住宅 八尾市植松町1丁目 MAP 八尾市指定文化財
旧植田家住宅は、旧大和川主流である長瀬川左岸(旧大和川の左岸)にあり、大和川付替えによって開発された安中新田の「会所屋敷」の地を継承したものとみられます。 建造物としては、主屋の他に道路に面し周囲を区切る表門とその右脇の土蔵と奥の主屋と接続する土蔵、控舎(番部屋)などがあります。 『安中新田』の開発は宝永元年(1704年)の大和川付替え後ですから、会所としての「会所屋敷」の建物は、これ以降の建造物になります。 主屋と土蔵一は、江戸時代後期のもので、主屋の土間部分は会所当時の姿を留めている可能性があります。表門と控舎は明治中期、土蔵二は大正後期に建てられたと考えられます。 旧植田家住宅は、江戸時代の集落の成立とともに高く評価され、現在の歴史景観からみても貴重な建造物です。 - HPより引用 続きを見る 八尾百景 #
by yao-city
| 2009-05-16 23:50
| 史跡・文化財
八尾市まちなみセンター(愛称:寺内町ふれあい館) 久宝寺3丁目 MAP
久宝寺寺内町の歴史は、450年以上前、戦国時代にまでさかのぼります。文明二年(1470年)に本願寺第八世蓮如上人が久宝寺で布教した際、「帰する者市の如し」といわれるほど帰依するものが多かったので、文明十一年(1479年)この地に西証寺を建立しました。後に西証寺は顕証寺と寺号を改め、天文十年(1541年)頃にこの御坊を中心として久宝寺寺内町が誕生しました。久宝寺は地理的に要衝の地にあり、中・南河内の門徒集団を束ねる拠点として多くの門徒宗が集まり住むとともに、商工業者も集まって活発な商業活動が行なわれるようになりました。 江戸時代以降は、農村部における商業の中心-在郷町-として発展しました。久宝寺は旧大和川(現在の長瀬川)の船運の要衝として、また堺から八尾街道を経て京都に至る主要幹線の中継点として栄えました。しかし慶長年間に本願寺の東西分派にともなって久宝寺の一部の住人が分離独立して八尾寺内町を建設し、宝永元年(1704年)に大和川の付け替えが行われると、それ以降地域の中心は八尾寺内町に移っていったのです。 - HPより引用 続きを見る 八尾百景 #
by yao-city
| 2009-03-19 18:13
| 公共施設
miki HOUSE 八尾市若林町1丁目 MAP
三起商行株式会社は、大阪府八尾市若林町に本社を置くベビー服・子供服メーカーで、「miki HOUSE」ブランドで全国にその名を知られています。 続きを見る 八尾百景 #
by yao-city
| 2009-03-18 22:58
| 建物・施設
八尾百景 #
by yao-city
| 2009-03-15 18:28
| 町並み・風景
八尾百景 #
by yao-city
| 2009-03-13 19:25
| 町並み・風景
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